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執筆者の写真千手美花

ハムスターが死んだ。

更新日:2021年9月23日


けれどやることはひとつしかなくて、私は土の中に温かかった身体を、今日の朝まで動いていた身体を埋めるだけ。それで、おしまいなのだ。悲しい、心が、壊れそうなくらいに悲しい。

人だったら、どうだろう。きっと悲しくない。いや、悲しさは分割される。あらゆる法的手続きをして、葬儀の準備をして、親戚に気を遣って、お墓はどうする、家は、書類は、財産は。そんなことをしているうちに泣く暇なんてなくて。すべてが終わって、眠って、起きて、仕事に行って。次の盆正月になって思う。あぁ、あの人はいないんだ、と。そこで初めて泣くのだ。葬儀なんていうのは、あまりに悲しすぎることを一身で受けるのはあまりに重すぎるから、分割で人間に知らせるためのものなんだ。

なら、ペット葬は? でもあれは、だめ。私にとってあれは商売の道具にしか見えなくて。人があまりにも死なないから、ペットの死を商品にしただけ。ただ、それだけに見える。

 だから私は、自分で葬式をする。鉢植えに、この子の体を植えて。それでも足りないから、造花のブーケを作る。もう、束ねるのが大変なくらいになったブーケ。私たちは忘れる。こんなに悲しんでも、こんなにつらくても。その花が誰の花だったかも、きっと忘れる。こんなに愛おしくても忘れてしまうから。意味を持って、カレンデュラを一本挿した。この子たちが生きた日々は、分割じゃなくてきちんと飲み込みたい。忘れずに、いっしょに生きていたいから。

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